あの世から現世を監視する謎の老人を演じて画面を圧した岩淵達治氏は、演出家・舞台人であると共に、ブレヒト研究の第一人者として知られるドイツ文学界の巨人なのであった。そんな岩淵先生の仕事場にお邪魔して、ソドム取材班が緊張のインタビュー! 


 聞き手、高橋洋、新谷尚之、渋谷哲也、畠山宗明(映画研究)、竹峰義和(ドイツ文学)

■ラングとブレヒト 

渋谷「高橋さんと岩淵先生が、十年前に自主映画の上映会の時に実は同席されていたとか・・・」
岩淵「あ、そうですか」
高橋「ええ、恵比寿のスペース50で(笑)」
岩淵「あれはカブトガニ(小寺学『酒乱刑事』のこと、カブトガニが出てくる)の時ですね」
数人「そうです!」
新谷「僕カブトガニ作りました(笑)ハリボテで」
岩淵「これ(『映画の魔』)に、カブトガニが出てきたから思い出してしまった(笑)」
畠山「その時は偶然同席されたんですか?」
高橋「あれは渋谷さんに来てくれと言われて、みんなで小寺さんの映画を見に行って。で、その時に岩淵先生もいらっしゃるって聞いて、びっくりした。とにかくそういう上映会にいらっしゃるってのがまず驚きで」
岩淵「ハハハ、いや、僕はねえ演劇オタクですから、演劇だと割とメジャーじゃないものも知ってるんだけど、映画はメジャーじゃないのはほとんど新しく知った名前ばっかりで(『映画の魔』を開く)」
高橋「すいません(笑)」
岩淵「いえいえ、まあラングなんかが出てくるところで、やっと知った名に会って、『死刑執行人もまた死す』は台本ブレヒトだから。ラングも可哀想なんですよね。ラングはブレヒトをアメリカに亡命させることについて、すごく受け入れの面倒を見てて、金もカンパを募ったりしてんじゃないかと思う。ヴィザのことも世話をした。なのにブレヒトは日記の中でラングの悪口ばかり書いてる(笑)。でも一カ所だけ、ラングがブレヒトがアメリカに着いた頃撮ってた映画と『肝っ玉おっ母』の中の一場面で似てるとこありましてね。どういうとこかっていうと、何か電信を扱ったラングの映画ありましたね」
高橋「はい、『西部魂』」
岩淵「そう、あれでね『西部魂』で電線工夫に応募してくるやつの身体検査をするドクターがね、ボン、ボン、ボン、って身体を叩いてみて、『はい、OK』って言うと、『なんだ、俺たちは馬かよ』っていう・・・『馬並みだな』っていうところがあってね。でブレヒトがそれより後書いた『肝っ玉おっ母』に、徴兵係が二人の若者を見つける場面がある訳ですよ。腕とふくらはぎをボン、ボン、ボンてやって、「立派な兵隊になれる」と言う。それを動物でも扱うようにやれって注釈書に書いているんだ。あ、これラングだと思った。『西部魂』を撮ってる頃にブレヒトはサンフランシスコに来てるんですよ。だからあれは見てるんじゃないかと」
高橋「『肝っ玉おっ母』の方が後なんですか?」
岩淵「演出したのは『肝っ玉おっ母』の方が後です」
高橋「後なんだ」
岩淵「スウェーデンで書き上げてはいますよ」
高橋「そうか。色んなテキストがあるんですね」
岩淵「だけど、亡命中に書いてるけれどまだ何処でもやってなくて。それで自分で演出してからモデルブックというのを出して、色々細かい演出指示を書いてる。徴兵係が兄弟をボンと叩く、馬を検査するみたいにって。これはラングの『西部魂』のドクターに対して検査された連中が『俺たちは馬かよ』なんてのと一緒で。身体検査ってのは本当に只触るだけだからね、ポンって。だから後から書いた演出ノートの中に、徴兵係が兵隊にしたい対象を扱う時は、まあ、その馬か家畜かなんかを扱うようにやれって書いてあるんですね」

(新谷、壊れているのでどかしていた椅子に座ろうとして壊す)

岩淵「(笑いながら)それ気をつけないと・・・。」
新谷「すいません!」
岩淵「だから椅子変えたんですよ(笑)」
新谷「(椅子が全く直らない)もう分解したままにしときます(笑)」
高橋「『死刑執行人もまた死す』にもこういう椅子出てきますよね、ゲシュタポが拷問するところ(笑)」
新谷「今度お借りして、次の作品の時に(笑)」
岩淵「『死刑執行人もまた死す』はウェクスリーってやつがブレヒトのをずいぶん書き直しちゃってるのに、そいつのことはラングほど悪く言わない。党員だったから免罪してたのかな。ラングはブレヒトの事好きだったんだと思うけど。ヨーロッパに帰る途中空港でブレヒトの死を知って、ガ?ンだったって回想録の中で書いてますよ。ブレヒトの方は作業日記の中でラングの悪口ずいぶん書いてますね。ふん反り返って何様だと思ってんだ!みたいなこと書いてあって。ヘレーネ[・ヴァイゲル]に役をもらえるはずだったのがもらえなかったのを根に持ったのかな?総督を暗殺して逃げてきてた医者を野菜売りの婆さんかなんかに「どっち行った」って聞いたら「あっち」って・・・あれはヘレーネ・ヴァイゲルがもらえるはずの役だったのが、もらえなかった(笑)」
高橋「あの椅子の拷問を受けるおばさんですよね?」
岩淵「そうそうそう。だけど、英語上手くないからねえ、ヴァイゲルは」
高橋「ラングは『死刑執行人もまた死す』の回想で、やっぱりブレヒトじゃないとかけない台詞だとかってちゃんと誉めてますよね」
岩淵「うんうん」
高橋「あの有名ななんだっけ、AさんがBさんに話して、BさんがCさんに話して、最後Gに言って・・Gで終わりだ、って言って」
岩淵「ゲシュタポだって。だけどあの、上手い具合になすりつけられて処刑されちゃうチャカっていう裏切り者は、蓮實重彦がよく書くラング好みの何とかっていう顔だね」
高橋「ああ、球体の悲劇っていう」
岩淵「そう球体」
竹峰「あと、フリッツ・ラングの三十年代の『YOU AND ME』(1938〔邦題:『真人間』1939公開〕)って、あれは非常にブレヒトの影響っていうかラングがブレヒトにオマージュを捧げるような形ですごいブレヒト的なシーンとか出てきて、非常に印象的だったですけど」
岩淵「あれ教育劇とか書いてあるけど、教育劇じゃないよなあ(笑)」
竹峰「そうですね(笑)」
岩淵「全然教育劇じゃなくて、むしろ『三文オペラ』の影響だと思う。要するに真人間にならないと盗みが引き合わないって逆説みたいな事を言ってる訳だから。強盗が金を貯めたら銀行家になって、合法的な犯罪をしようと思うというのが『三文オペラ』だし。ただラングはブレヒトをそんなにはよく読んでない・・・そこはやっぱり演劇人と映画人の基本的な違いじゃないかと思う」

 

■「叙事的」ということ

新谷「どう違うとお思いですか?さっきもそういう話してたんですけど。我々は演劇の事全然分かりませんので。岩淵先生にどういうご質問しようかって。演劇の話ちょっと聞けないよねって話をしてたんですよ」
岩淵「例えば高橋さんのご本なんか読むと、「叙事的」っていう概念にあるアバウトさがあって。「ジャンル」も、なんか芝居屋が考える叙事的とはちょっと違う感じがするのね。「叙事的ドラマ」って言うと、本当はシェイクスピアもそうなんですね。要するにブレヒトはフランス古典劇みたいなきちんとした四幕構成とかそういうんじゃなくて、短い場がいくつも繋がってるけどそれぞれが独立してるものを「叙事的」と言ってるんですね。ただそう言いながら、ブレヒトの『肝っ玉おっ母』なんか調べてみると、場面のバランスが滅茶苦茶なんですよ。第三場っていうのだけで一時間あるんですね。で、十分の場もあるし、三分の場もある。そういう風に均等割じゃないんです、十一の場面が。日本語でシーンと言えば景ですね。一景、二景と書いていく。それで言うと『肝っ玉』は十一景だけど、場でも景でもなく数字しか書いてない。そしてそのうち三景ってのはさらにABCに別れてて、一時間かかりますからね。ずいぶんバランスが違うんですよ。で、映画ってのは大体叙事的なもんじゃないんでしょうかね?シーン毎がシークエンスになってるから。それがただ独立してるかどうかは分からないけど。ブレヒトも劇中で映画使ったりなんかしてるし」
畠山「ある意味で映画が演劇にとっての理念みたいなものだったんじゃないですか?当時は」


高橋「そうですね。叙事的と言ったときに僕が連想するのもアメリカ映画みたいなものだし。多分その独立っていう感覚だと思うんですね。映画の作り手たちが言う叙事的って、それこそブレヒトとか読んで影響受けたか考えた方ですけど、シーンとシーンの関係性ですよね。ブレヒトがアリストテレス的な演劇だっていって批判したものってのはシーンとシーンがドラマチックに緊密に結びついている。だから僕なんかの理解だとシェイクスピアなんて、すごいドラマティックに構築されている世界っていう印象が強いですよね。で、ブレヒトでびっくりしたのが、ベターってこう全部ドラマチックに結び合わされるんじゃなくて、一個二個抜けても大丈夫みたいな感じで」
岩淵「ええ、そうそうそう」
高橋「だから、その日のノリでシーンを変えたりできるっていう」
岩淵「そこまでは出来ないんじゃないかな。ただ『ガリレイの生涯』の最終景があまりにもオプティムスティックだってことでやらないのが原則です。映画で言えばラストシーンを切っちゃう訳ね。『第三帝国[の恐怖と悲惨]』なんかは年代順になってます。まあ場面関係ないからバラバラにやってもいいけど、最低限クロニクルな軸っていうのはあるかもしれませんね」
高橋「なんかその、気持ちよく次のシーンが出てこないホンの書き方したいなぁ、って思う事があって。シナリオ書いてるとキャラクターなりストーリーなりが次のシーンを呼んじゃって、すごく気持ちよくつながってっちゃう時がある。それはそれでドラマティックなお話が書けるし、商品としてはそっちが望まれているからいいんだけど、そういう時参照したのは、ブレヒト読んだりしたときの体験感なんですね。ブツブツって切れててシーンごとにドスンドスンって落ちてくる感じってのは、ラングの映画なんか見てると強く感じますね。だから、極端に言えばこのシーンは無くても繋がったはずだけど、あることによって全然違う。見えないものが見えてしまうっていう・・・」
岩淵「「叙事的」っていうことで言うと「飛躍」って言葉をブレヒトはよく使いますね。例えば、日本が「叙事的」ってのを最初に場面が多くて良いんだって受け取っちゃったのは大きな間違いでね。叙事的だからベタベタ一杯場面を書いていいなら素人だって芝居かけるんですよね。ブレヒトの言う「飛躍」っていうのは、日本のテレビ劇なら1,2,3,4という順を追っていくのに、1(原因),4(結果)を続けて、2,3は書かないということです。過程を書かないっていうことが、芝居の容量を大きくするって言ってるんですね、ブレヒトは。例えばドラマだったらある男がちょっと女をかましてエロホテル連れてくまでの過程を長々と描く訳だけど、ブレヒトだったらひっかけたら次はもう堕胎をどうやるかの場に持ってっちゃう。間が詰まる訳ですね。それが政治的な問題の場合だと、非常に間口の広い対象が使えるってことをブレヒトは言ってる訳」
高橋「新谷さんの言ってる漫画の考え方もそうですよね」
新谷「まあ、高橋さんがよく言われてるんですけど、昔の漫画って、一コマの情報量多かったですよね。ですから、昔のサイレント映画のフィックス画面みたいな。で、ブツっブツって繋がっていく。間の画面飛躍してるんですけども。まあ、今の漫画なんかではそういうリズム感が受け入れられませんから、そういうのは無くなっちゃったけど。その方が書かれていない所が増幅されて見えてくる」
岩淵「そうですね」
新谷「そういうことを今回『ソドム』ではやろうとした訳なんですけどね」
高橋「『ソドム』はシナリオを書く時になるべく普段の商売で書くみたいな、線的な縦軸が出ないように、飛び出るように飛び出るように、みたいな感じでやったんですね」

 

■飢えのリアリティ

新谷「高橋さんとよくそういう話をするんですけど、つくりものとしての映画のリアリティー。それを今回もやろうとしたんですけど、まあ今ブレヒトの話、演劇の話をずっとしてたんですけど、まあ演劇に関わらず映画に関わらず、まあ漫画に関わらず、そのつくりものとしてのリアリティーっていう、ちょっと漠然とした話なんですけど、岩淵先生どういう風にお考えですか?」
岩淵「僕はねえ、まあちょっと話がそのお答えになってないかもしれないんだけれど、僕はサイレント映画の最高傑作ってのは『最後の人』だと思うんだよ」
新谷「ほぉー」


岩淵「字幕が一つもなくても分かっちゃうだろ?あれ。サイレント映画で字幕が無いってのはすごい見事で、実に良く造ってる訳だよ。ヤニングス主演で。最後は本当はハッピーエンドじゃなかったんだけど。金モール着たホテルのドアマンが、便所の番人かなんかに落とされちゃって。そこの便所で死んだ奴の遺産もらって、今度は自分が馬車呼んでっっていう・・・。あの話はすごいね。それで、ブレヒトは時々芝居であの手使ってると思うんだけど、あの『最後の人』の結婚式場面で、お皿にお祝いの食べ物が出ると、ばっと四方八方から手が出てきて、あっという間に皿が空になってしまう。あれはブレヒトの『クーレ・ヴァンペ』と『コーカサスの白墨の輪』の婚礼場面でも使われてますね」
渋谷「何かその飢えてるって感じよくでますね」
新谷「実は飢えってことも今回一つテーマではあったんですよ(笑)いや、本当に!高橋さん、電話でずっとあの脚本練りながら電話でずっと聞いてて、やっぱり飢えとか貧乏が無いと物語が発動しないんじゃないかって話をずっとしてまして、昔の映画とかも最初飢えですよね。そこからしか話は始まらない」   
岩淵「僕は飢えっていうのは本当に『見るべき程の事は見つ』っていう心境であって、僕が寮生活してた時は、まあご飯がよそって盛って並べてあるしょ。誰も順々に持ってかないんですよ。そこに行くと、パッと一一瞬の間に一番多そうなものを持ってくんですよ。誰でも。これくらい人間があさましくなる状況を知ってるんだ、僕はって思う。これを知らない人には飢えが分からないんだろうなあって思って。芝居でも戦後十五年ぐらいたったらもう飢えは分からなくなっきてる。『私のかわいそうなマラート』というスターリングラードで包囲されてる中での少年少女の芝居を見たら、苦労して食べるものを探してきた場面で、二人で喜んでガツガツ食っちゃうんですよ。あ、これ嘘だって。ブレヒトの芝居だと飢えてる人間はどうするかっていうと、チーズを見つけたらまず隠して、ガツガツなんで食わないで何かけらか取っておこうと思うんだけど、我慢できなくて食べちゃってっていう・・・。今だとブレヒトが正確に飢えの描写を書いててもそういう飢えの感覚を敏感に感じられるかなっていう。実感が無いっていうか。僕のリアリティーっていうのは僕が戦争中本当に飢えてた時のもので、飢えてる人間は、その時に物もらったらガツガツ食っちゃうってことは絶対にしない。そういうリアリティーを持ってる。性格によっては食いだめしとこうってのもあるけど、でもこれはもう余裕だね(笑)」
高橋「でも何をおいて実相と見るかってのはこれすごいことですよね」
岩淵「そうですよね」
高橋「でもやっぱり絶対分からなくなってきますよね。ある経験が無いと絶対分からないってのは残る。物事を描く時に、あるフレームの中でだけ発想するんじゃなくて、物事の外側をね。このフレームだって仮のものだから、外側からもう一回物を見ようっていうかね。だけど、あまりにもフレームが自然というか、批判し得ないというか、批判の対象として視野にすら入ってこないものとしてあると、これはもう分からない。この球体の中に自分がずっといて、かつその球体があるってことを触知できない。だから飢えというのにもっとすごい実相があるのだということを多分一生分からないで終わる時代だってきっとあるってことですよね?」
岩淵「だけど飢えを例えば表現しようという意欲があるのは面白いと思うんだ。カツ丼屋の場面だってね、今は注文したらどこでもすぐ出てくるんだから。どうやったら飢えとか、食べ物が売ってないっていう状況を体験できるかなあ」
新谷「昔はまず物が無い」
岩淵「昔だから冷蔵庫が無いでしょ。そうすると取っておきたいっていうのと、当たっちゃうもしれないし、腐らないぎりぎりに食いたいという・・・この矛盾がすごく大きい訳ですよ」
新谷「でも逆に、取っておけないから、お隣にお裾分けするとかっていう文化があるわけですよね」
岩淵「ええ、でもところが、お裾分けって発想が出てこない。人にやるのがもったいなくて、飢えている時は。安岡章太郎の兵隊時代を書いた飢えというのは、まさに実写ですよ」
新谷「僕も大阪で貧乏暮らししてた時に、田舎からお菓子か何か送ってきても、絶対誰にもやるもんかって一人で食べてたけど」
畠山「すぐに食べるんですか?」
新谷「いや、ちびちびとっておく。本当半月に五百円玉一個で生活していた時代でしたから。だから、お金がある時は別に良いんですけどね」

 

■戦争体験

竹峰「岩淵先生は戦争中はずっと東京にいらっしゃったんですか?」
岩淵「ええ。で、僕は理系でしたから徴兵猶予っていうのがあって、非常に変則の動員だったんですね。僕は理系で旧制高校は三年制だったんだけれども、戦争で二年に短縮になって。短縮になった上に動員では理系の教課は終わらない。それで僕は消防署に動員された。消防署っていうのはどういう動員かというと、理系の学校の連中を三日シフトで、三日のうち一日消防署に泊まるんですよ。で、あと二日は勉強。だから、消防署行っても空襲がなければただ待機でゴロゴロしたてんですよ。工場なんかに動員されるのと違ってただつめてるだけだから、戦争中の動員にしては勤労はなにもしなかった。夜勤だから泊まる訳だし、火事場には何回か行ったけども。だけど、本当に空襲があると修羅場なんです。猛火の中へ消防ポンプで行ったから。僕は青山消防署にいたんだけど、運良く東京大空襲の日が非番だったんです。一緒にシフトを組んでいた早稲田の理工だったかな。かなり死んだ学生がいたんですよ。本当に大空襲の日に当たってたら悲劇だったね。僕は大空襲のあった日は非番だったので実に幸運だった」
岩淵「その時は家にいたんですよ。そんで家が焼けたんですよ」


新谷「その時は何処に?」
新谷「え、ご家族の方は別に?」
岩淵「親父とお袋は疎開させてあったから、姉だけでしたけどね。で、焼け出された」
新谷「・・・その頃もう色々ドイツ語のご本とか持ち出されたんですか?それとも全部燃えちゃったとか・・・」
岩淵「ええ、あの頃は馬鹿みたいだったねえ。リュックサックに岩波文庫なんかを何十冊も入れてしょって歩いたりしてんの。あの頃本が貴重だったでしょ?」
新谷「飢えてた訳ですか」
岩淵「本なんか戦後いくらでも買えるようになるのに、缶詰でも担いでたほうが利口でしたね。それにアルバムなんかも全部焼けちゃって、子供の頃の写真全然無いんですよ」
新谷「でも、よく言いますよね。戦争終わってすぐ岩波文庫かなんか分からないけど端切れのもんまで皆買い漁ったていう・・・」
岩淵「そう、戦争直後はまだ活字に飢えてた。岩波の文庫の発売日に一番電車で行って並んでね。何が出たかも分かんないで買っちゃう。一度岩波でその頃『明治天皇御集』なんての出しやがった(笑)」
数人「アッハッハ」
岩淵「一番電車で行って買って馬鹿みたい」
新谷「ハッハッハ、それは戦後ですか?」
岩淵「戦後です」
新谷「明治天皇ですか?すごいタイミングですね(笑)」
岩淵「ええ、でそれでなんかやけくそになって明治天皇をおちょくる芝居を書いたんだけども」
高橋「それは上演されたんですか?」
岩淵「それは結局やんなかったなあ。やる方がぶるっちゃって。『八軒長屋』っていう明治時代の村上浪六っていうやつの小説を劇化したものなんですけど」

 

■『キングコング』と小津

新谷「ところで最初に見た映画ってのはどんなもんだったですか?」
岩淵「割合強烈に残ってるのはアメリカ版ゴジラで、『キングコング』だね」
新谷「ええ!?」
数人「おおーっ!」
新谷「『キングコング』って何年でしたっけ?」
岩淵「え?とね、昭和八年ぐらいだろ。で、日本でね、鎌倉の海岸でね、巨大なキングコングの、ハリボテが立ったんですよ。そのくらい」
高橋「それはおいくつぐらいの時ですか?」
岩淵「七つ、六つか、小学校入ってなかったかな、五つか六つのときだな。で、怖くて。やっぱり、あれ毒ガスか何かで眠らせちゃうんだっけ?なんか怖くて見なかった所があるんだけど・・・。やっぱエンパイアステートビルに上る所とかね、よく覚えてますよ。だから、『ゴジラ』を見た時は、なんか『キングコング』の二番煎じだと。これは核っていう問題が原爆の話として出てくるけど、一番最初の『ゴジラ』って、何か変な錠剤みたいなのボコボコやって海ん中で溶けちゃうでしょ?馬鹿馬鹿しいね(笑)」
新谷「前公開講義に僕らもお邪魔したんですけど、小津安二郎も好きじゃないって話されてましたよね。あれ本当ですか?」
岩淵「本当に本当に」
新谷「あっはっは(笑)」
岩淵「僕は小津安二郎は日本的情緒だと見ちゃう。外人がクールだと思ってる所はみんなそうでしょ。娘を嫁にやる父の腹芸とか。ああいうの俗っぽくてひどく情緒的だと思うんだけどな。」
畠山「時期によって違うってことも無いですかね?例えば、小津って時代劇を全く撮ってないですよね。だから、初期の作品ってのはそれこそ最新のハリウッドの様式を使って、モダンな生活ばっかり描いていた訳じゃないですか。だから、そういうのを今見ると逆に日本的な情緒の体現者には全然見えなかったりしちゃうんです。歳とってそうなった部分ってあるんじゃないでしょうか」
岩淵「そうですね。『生まれてはみたけれど』なんかはドライなとこもありますね」
高橋「僕はね、それこそ『晩春』ですよね。嫁に行く心得(笑)。高校生の時にNHKの番組でやってたんですよね。その時生まれて初めて小津を見た。で、びっくりしたですよ。映画ってこんな不自然で良いのかっていう・・・」
岩淵「笠智衆ってのは下手だ(笑)。絶対あれは下手だって思うの。でもそれを押し付けちゃうからねえ」
高橋「とにかく愕然として見続て、次の日映画の話する仲間に「ものすごい変なもん見た」って(笑)。で映画にうるさい女の子がね、嫁の心得の所で本当にムカついて消したって。だからここまで意見が食い違うんだってびっくりした。どこにポイント置いて見るかで全然映画の見方が違うんだって、その時強烈に思った」
新谷「いつもそれで高橋さんと言い合いしてる訳ですけど(笑)」
畠山「演劇やってる方で小津は嫌いだって言うと、やっぱり演技の余地がないっていうところなんでしょうか?俳優は小津のロボットじゃないとダメというか。あんまり自分で演技しちゃう役者は好きじゃないって小津も公言してますよね」
岩淵「だから、笠智衆でなにやっても変わらないよね。笠智衆は笠智衆なんで」
新谷「でもそういう部分はどうなんでしょうか?」
岩淵「笠智衆は直されてないんじゃないですか、小津に」
新谷「ああ?」
岩淵「僕はつけたとは思えない。だって何やったって同じだもん。イントネーション不変の法則」
高橋「素であると」
岩淵「そう。まあ素といっても鉛入りの三杯素だけど(笑)」
新谷「ごひいきの女優さんとかおられるんですか?」


岩淵「戦争中は原爆で死んだ園井恵子ってよかったねえ。宝塚出身で阪妻の『無法松の一生』にしか出てない。三船の『無法松』なんて、阪妻の見てたら全然見られない。監督は変わってないんだけどね」
新谷「あれはカラーでしたっけ?」
岩淵「そうそう」
新谷「モノクロとかだった頃とは全然違っちゃいますしねえ」
岩淵「ええ。で、考えてみると阪妻の『無法松』で子供役やってたのが、この前東条大将をやってた奴だろ?伊藤俊哉の『プライド』で」
高橋「津川雅彦」
岩淵「そう、たしか彼が阪妻の秘めたる恋の相手(園井)の息子役だったんだよ。」
竹峰「戦前から日本映画ってのいうは定期的に見ていらっしゃんですか?」
岩淵「定期的っていう程は・・・。大体、僕らが中学の頃は一人で映画館には行っちゃいけない。高校になったら一人で入れるけど、戦争中だから昼間ブラブラして憲兵にでも捕まったらそれが映画なんかでも徴兵猶予取り上げられちゃうから。さぼって映画見るのも命がけっていう時代だからね。だからあんまり見てないですね」
新谷「戦後はずいぶん見られて・・・」
岩淵「ええ、戦後は割合見てますね」
新谷「でも戦後はあれですよね。戦前に封印されていたアメリカの映画とかドイツの映画とか日本の映画とか、あっちこっちでたらめな状態で上映されていたってよく聞きますけど。断片だったりごちゃまぜだったり・・・」
岩淵「日本最初の接吻映画ってのは、『はたちの青春』(1946,佐々木康)ってやつなんだけど、ガーゼつけてやってたそうだ。何て言ったかな、大阪志郎。アメリカ映画では『call of the yukon[邦題『ユーコンの叫び』]』(1938[日本公開1945], B・リーブス・イースン)それまで接吻の場面はカットされてたんですね」
新谷「僕はモノクロの戦前の作品が好きで、そんなにたくさん見てる訳ではないんですけど、『キングコング』とか『ターザン』とか見たら何かこう、えも言われぬ物が映っている訳ですよ。普通のドラマが進んでいるんじゃないんですよ。『ターザン』なんかを見てるとあれ、本当相当人が死んだようだと思うんですけど。悪い土人の所に象が攻めてきて、踏むっていうシーンがあるんですね。あれギリギリで止めているだろうとは思うんですけど、絶対踏んでるじゃんとも思うんです(笑)ずいぶん死んでるだろうと思うんです。『ターザン』とか見られました?」
岩淵「『ターザン』はあんまりたくさんは見てないですね。チーターとかが出てきてるってのは覚えてるけど」
新谷「『ターザン』とか昔の『魔人ドラキュラ』とかですね、さっきの『キングコング』とか、あそこらへんを見たら今の映画とは全く違うジャンルを見ている気がして」
岩淵「ドラキュラは昔の方が絶対良いよね」
数人「ほぉ?」
岩淵「ヘルツォークのはひどかったよね」
高橋「え、先生が今言ってるドラキュラっていうのは・・・」
渋谷「ノスフェラトゥ」
高橋「あ、ブラムのか」
新谷「そこらへんは高橋さん、専門ですけど」
高橋「そりゃあだってねえ、よくぞあんな造形考えたと思いますよ」
新谷「あれ、『ノスフェラトゥ』でしたっけ、棺担いでくるっていう・・・あれも元ネタの一つですよね、『ソドム』の(笑)」
岩淵「そうかぁ」
高橋「そこまで意識してなかったけど(笑)」
新谷「ずいぶん吸血鬼の話してたじゃないですか。あと、サイレントのドラキュラってのは、ほら例の高橋さんの好きな。」
高橋「いや、だからドラキュラじゃなくてあれだよね、『吸血鬼』、ドライヤーの」
新谷「あれもかなり変わった映画ですけど、あのあたりってのはどう思われますか?サイレント時代の・・・」
岩淵「そうだねえ・・・やっぱりああいうのはカラーには合わないんだろうねえ。モノクロでいいものだったらやっぱりいいよね」

■情緒の色がつかない

新谷「まあ照明効果って言い始めたらそれこそ演劇みたいな話になってくるんですけど、今まあそこら辺のTVでやってるドラマとか映画なんてのは現実をリアルに撮るってフラットに照明つかうじゃないですか。でもそうじゃない照明ってのも本当はもっと模索したかったんですね。ただ使ってるのはビデオで、フィルムとは全く特性が違うってことで、あまりそういうことはつっこんで出来なかったんですけど」
岩淵「僕はドイツで芝居見ていた時に、まだ日本にはハロゲン照明が無かった頃だったから、あれには本当にびっくりしましたね。本当に「白い」って感じになるんだ。だから、芝居のモノクロって感じがしましたね」
新谷「やっぱり内容ってのも変わってくるもんですかね?」
岩淵「そうだねえ、だからそれこそ叙事的っていうか、情緒の色がつかないっていうか、そういうのが出来るんですね」
新谷「「情緒の色がつかない」ってのはちょっと見出しで(笑)」
岩淵「僕がブレヒトを見てびっくりしたのは、『肝っ玉』の真夜中の場面なのに照明全然暗くしないんですよ。照明を本当に暗くしてたら何やってるか分からないしょ。シェイクスピアの芝居で『今何時だい?』『夜中の十二時だよ』って言うのを聞くと客が昼間でも夜中の十二時のつもりで見てたってのと同じような感じだね、ブレヒトが暗い場面をやらないってのは。だから照明の濃淡をあまり使わない。やってることを細密に見せるってことが大事だから」
新谷「映画でもそういうのありだと思うんですけどね。「飛躍」て話に戻っちゃうかもしれないですけど、断片で見る映画って面白いじゃないですか」
岩淵「そうですね」
新谷「夜中にTVとかつけてタイトルとか分からないで見ちゃうっていう・・・」
岩淵「そうねえ」
新谷「昔の歌舞伎なんかは、お弁当とか持って来るって感じだったんでしょうけど、映画なんて僕たちの親の世代までは映画館ちょっと入ってみてすぐ出るっていうねえ。で次の日また来るみたいな。そんなことが普通に出来たってくらいごく普通の生活の一部だった。そういう見方ができたってのはすごい豊かな事だったと思うんですよ」
岩淵「これまだ無声映画が芸術として完成してない時は、映画館は暗闇でいちゃいちゃする所だったってことをブレヒトは書いてるねえ、小説に。」


畠山「売春宿みたいないかがわしい場所と同列に考えられてるんですね。まあ、だからこそ映画館に通い詰める文学者なんかもいたんですけど。エイゼンシュテインなんかが「アトラクションのモンタージュ」と言うときも、そういういかがわしさを考えてる」
渋谷「でも階層化されてたんじゃないですか。ドイツだったら大々的にフリッツ・ラングのプレミアショーやってるオーケストラ付きの所と、ほとんど場末のなんかって所と」
畠山「だから二種類あるんじゃないですか。都市部のそういう所と、ちょっと離れた労働者用のところと・・・」
新谷「労働者の所でフリッツ・ラング流れてたんすかね?」
高橋「かかってないんじゃない?」
新谷「流れてないすかね?違うんすかね?昔本にあったんすけど、昔中野の駅前に50円で6本立てくらい見れる映画館があったんですよ。それが地下でせま?いところで、いつも立ち見ばっかりで満員で。スクリーンも見れない訳。で、大体西部劇に切り刻まれたのやってたり、間にコントが入ったりちょっとお色気ショー入ったり。で、そこに変な映画が混じってた。モノクロで貧乏な人々の姿を描いてた。変な映画だと思ってたら、ブニュエルの『忘れられた人々』だった。全く違うタイトルで、エロビデオみたいなものとかB級C級ものごちゃ混ぜで、輸入しちゃったんですね、おそらく。それでどうしようかなーってタイトル変えて出したんだと。で、『忘れられた人々』の情報だけ入ってて、当時の前衛的な芸術家の若者は見たい見たいと思ってたんだけど、何処でも流れる訳無かった。ところがそこで突然見てびっくりしたってのがあってね。で、良い話だなーって思うんですけど」
畠山「つなぎ間違いみたいなのはあったでしょうね。昔は上映開始と上映終了も無くて、ひたすら全部繋げて一日中流すって。まあまだ劇映画もない頃ですけど。待合室も無くて入ると言うよりちょっと寄る」
新谷「でもいいですね、そういうの」
畠山「当時は映画作家って概念も無かったから、映写技師が作ってるんだろうと皆思ってたらしく(笑)」
新谷「映写技師が削ってつないでするし」
畠山「そうそう。だから、ロシアの片田舎で『戦艦ポチョムキン』を上映した時に、皆でワーッと感動して、映写技師を胴上げしたって」
一同「(爆笑)」
高橋「いいなあ、それ」
新谷「いいですねえ」

■恐怖と笑い

岩淵「そういうジャンル分けってのは、やっぱり映画学校で講義をするから、系統立ててお話しするためにジャンルってのを打ち出したのか、それともジャンルっていうことがご自分の中で整理をされて作られたんでしょうか」
高橋「いや、まずはっきりしてるのは学校だからこういうもんなんだよ、っていうスタンスではないんですよね」
岩淵「あ、そうですよね」
高橋「やっぱり自分の映画を見た体験の中でジャンルっていう物が蓄積されている訳で、で、あらためて自分で映画を作る時に「何だっけジャンルって?」って自問自答し始めたことから自分なりのジャンル論になっていく。恐怖と笑いっていう二つの対立軸。『ソドム』も恐怖と笑いっていう対立軸の中で動いているんですけども、いやこれ昔だったら喜劇と悲劇だよなぁって思って。でも今は悲劇っての何処か行っちゃって。こう恐怖と笑いっていう風に捉えられてるっての、一体自分たちは何に触れようとしているんだろう?って考えるときってジャンル論になるんですね。それは自分の中で全前説明つかないし解答無いんですけど映画を作るときのフレームっていうかとっかかりにはなるんですね。だからこの中で何かやりなさいってんじゃなくて、これはとにかく物を考えるとっかかりだと。踏み越えるためにあるんだと。踏み越える物があったら物が作りやすいっていうね」
岩淵「僕はね、仕切り屋というか原理主義者だから。叙事詩抒情詩劇詩っていう時には、古典的三分法ってのがある訳でしょ。つまり昔は叙事的というより叙事詩であって、散文の文学は存在しなかったから叙事詩抒情詩劇詩って。ポエティックってのは詩学じゃなくて文学ですよね。文学は全部詩じゃなくちゃいけないっていう時期がかなり長くあった訳だから。テクストの問題としては、映像テクストってのは特殊なもんがあるんですかね?例えばストローブとユイレって夫婦の映画は、よく古典的韻文をひたすら立ちっぱなしで喋らせるでしょ。『アンティゴネー』だとか『エムペドクレスの死』(ヘルダーリン作)だとかで」
高橋「ああ、古典みたいな物から論理を導きだしていくっていうことですか?」
岩淵「うん、そうだよね。古典劇をそのまま喋らせると論理的だけど、映画にはなじむのかな」
渋谷「やっぱり言葉の問題大きいですね。岩淵先生の演出された舞台見てて、言葉が栄えると言いますか。で、その叙事的なこと、場面の問題だけじゃなくて、言葉をどうやって舞台上で体現させるか。で、やっぱり俳優に心理でしゃべらせるんじゃなくて、テクストそのものを聞かせるようなしゃべり方って岩淵先生の演出だとよく分かるんですけど。高橋さんの言葉の質と似ているのかもしれない。最初から心理的に争おうとしないというか。例えば恐怖に至るというシチュエーションを語る時に、やっぱり見る人はどう思うんだろう、どう感じるようにするんだろうっていうのってあると思うんですけど」
新谷「よく高橋さんと、サイレント映画と、言葉があってカラーになっちゃった現代の映画の映画の特質の違いって何だろうって話してて、悲劇や喜劇とかを平然と含み込むポエティックって言葉がですね、なんかサイレント映画とシンクロするのかなって気がお話聞いててしたんですけど。詩なのかなって気が大雑把ですけどしたんですよ。特に最近カラーで音がついて普通の時間軸で進んでいく映画っての拒否反応起こすんですね。見てらんなくなる。ですから非常にたる?いそこらへんのつまらない小説みたいな散文読んでる気がしてくる。怖さと笑いっていうのは、もともとは対立する物では全然無い訳で。戦前の映画とか、昔のポエティックって言われる時代の、散文て言われる前の文芸はそういうところに平気で踏み込んでたんじゃないかって思うんですけど」
岩淵「でも笑いと恐怖ってのは面白いね」
新谷「怖さと笑いっていうのは、もともとは対立する物では全然無い訳で。で、全てそういう物平気で戦前の映画とか、昔のポエティックって言われる時代の散文て言われる前の文芸は踏み込んでたんじゃないかって思うんですけど」


岩淵「怖さと笑いってのは面白いねえ。怖くなればなるほどおかしいってことは僕はあったな。戦争中にね、大詔奉戴日ってのがあったんですよ。知らないでしょ!?大詔奉戴日ってのは要するに1941年12月8日に、天皇が宣戦の大詔を煥発した訳ですよ。そしたら8日ってのがですね、毎月の大詔奉戴日ってことになった。その日になると生徒が校庭に整列して校長が読む宣戦の大詔ってのを聞く訳ですよ。僕の小学校の時には教育勅語なんて校長読むの上手かったんですけどね。中学二年の時に、前の校長が自由主義だってんでクビになって、何か変な校長が来てね、すごい早口なんですよ。でね、その宣戦の大詔の中に「俺は戦争やる気しなかったんだけど、敵に強制されてやるんだよ」って意味で「あに朕が志しならんや」って言う言葉があるんですよね。その前の台詞は全然覚えてないんだけど。「あに朕が志しならんや」ってのをゆっくり言えばいいのに「あに朕がこしならんや」って言うんですよ(笑)。で、皆もうそこでおかしくなって笑いをこらえるんだけど、教練とか体育の教師とかごろつきみたいなのが監視してる訳だから、笑ったら半殺しの目にあう。だからあそこをどうやってこらえるか(笑)それでもおかしいでんですから!朝から不安で怖い」
新谷「その何でしたっけ、そのお言葉・・・」
岩淵「宣戦の大詔「豈朕ガ志ナランヤ」ってところです。大詔奉戴日ってのは太平洋戦争開始の8日なの。その前はですね、日中事件が始まったのは何日だか知ってますか?盧溝橋事件ってのは昭和12年の7月7日なんだよ。で、毎月7日は興亜奉公日で、日の丸弁当なんだよ。兵隊さんのことを考えてって。それがスイッチして8日になって、大詔奉戴日になった訳だ。で、大詔奉戴日ってので毎月8日にあんなことやってたんだよ。詔勅読み上げてね。「戦時下ニ於ケル笑イノ研究」という小説を書きかけたことがある」
新谷「毎月8日に恐怖と笑いが来る(笑)」
竹峰「根源的ですよね、それは何か」
高橋「なるほどね」
岩淵「それがトラウマになってるんだろうね、きっと。だから、怖い、笑うってのはなんか・・・。それにちょっと似たような体験ってのが、運転してた時に、その前に運転してる車がバイクをはねたんですよ。そしたらバイクの奴が空中に舞い上がって、真っ逆さまにヘルメットで地上に激突して、そしてふっと起き上がってニタッと笑ったんですよ。多分頭蓋骨骨折だろうけど、一瞬大丈夫だと錯覚してニタッとしたんだと思う。あの笑いってのは怖かったね。自分がはねた訳じゃないからすぐ通り越したけど、俺は大丈夫だったっていう笑い。おそらく頭蓋骨は壊れてるんじゃないかと思うんだけど」
渋谷「余裕の笑いみたいな笑顔ですか?」
岩淵「そうそうそう」
渋谷「でもその後死んだかもしれないですよね」
岩淵「うん、だって垂直に落ちてるんだからね。でも、こう起き上がってニタッて笑って・・・」
高橋「でもそれは怖さが笑いに転化するというよりは、笑うってこと自体が恐ろしい体験だったり、笑ったって事が恐ろしい見物であったりってことですよね」
岩淵「そうなのよ」 
高橋「若い人と『悪魔のいえにえ』っていう昔のホラー映画とかを見て、70年代とかですけど、僕らにとってはもうものすごい怖い映画だっていうか。それを今の若い人が見ると、笑っちゃうんですよ。それは古くさいから笑うんじゃなくて、怖すぎるから笑っちゃうんですよ、って言い方をするんですね。で、何人も僕にそう言う事を言ってきて。そうなんだぁ、ってまあ黙って聞いてるんだけど、内心ムッとしてる(笑)」


畠山「どの場面で笑うんですか?」
高橋「多分だからあれでしょ? チェーンソーもって追いかけてくる所とか、ああいう所で笑うと思う。でも、怖すぎるから笑っちゃうって時って、何処かそれ嘘が無いか?って思うんですよね。つまり、自分は未だかって、そりゃ戦争とかすごい体験した事は無いけど、何回かは怖い目に遭っている。でも一回も笑った事無いんだ」
新谷「でもそれおかしいから笑うんじゃないですよね?あれって症状だろうと思うんですけど」
高橋「そうだね。だから何かを見て、例えばものすごい不幸な人を見て笑っちゃうってことは確かにあるんですよ。こないだの曙戦で、こうリングサイドで必死で見てるもう死にそうな顔になってる奥さんの顔見て笑っちゃうってことは確かにある(笑)でも何か今の人が『悪魔のいけにえ』見て笑っちゃうってのは、多分自分たちでパロディ化しちゃってる」
新谷「距離をとってるんですかね」
高橋「そう、距離をとってる。そこがムッと来る」
渋谷「防衛の場合もありますよね」
高橋「そうそう。一方で笑いって、恐怖に対する防衛として、引きつった顔が笑いだったって話もあるから、意外に嘘でもないかなとは思うんですけど。なんか恐怖が笑いに転化っていう時にね・・・」
新谷「多分でもそれは僕は若い子たちが高橋さんにそういう自分の体験を話す時に他に言葉が見つからないと思うんですよね。伝わる物は絶対伝わると僕は思ってますので」
岩淵「でも僕にはホラーになる源はいやに現実的で。学校の体育系の教師とか、教練の軍人とか、ああいうのが本当に一番おっかなかったな。だから笑ったら顔が変形するくらい殴られちゃうっていう・・・ホラーでしょ?いや、ホラーじゃないか・・・・・。リアリティがあって、でもそれが一番怖いんだよ。今の学校ではいくら体育系でもそこまではしないでしょ?」
渋谷「そうですね」
岩淵「何にも無い、気まぐれで殴る事もある」
新谷「今の学生はむしろいじめの方にいっちゃうんでしょうけど」
高橋「でも不思議な事にね、ここ数年映画の世界で人々が怖いと思ってるのは、まあ、自分たちがやってた仕事なんですけど、幽霊なんですよね。つまり、ものすごい凶暴な人って映画に出せますよね、芝居として。で、どんなに見せても、それはそれでわあ大変だ!って思うけど、ひい怖い!ってなんない。でも幽霊出すと簡単にひい!になる。なんか超自然の物の方が強いらしいってことが最近起こってるんですね。実世界だと、まあ池田小のああいう事件の奴とか近所に住んでる方が一番怖いんですけど、深刻に怖いっていうと何を思うかっていうと・・・幽霊ですよね。それは別に幽霊信じてる信じてないじゃなくて、女の子とかね、ホラー映画借りてきて家で一人で見ると、すると途中で怖くなってきて、それで後ろを振り返っちゃうっていう。あの幽霊とか信じてないって言う人でも、後ろを振り返っている自分がいるっていう・・・やっぱりその時本当もう怖い!って。それがストーカーにあったりする怖さとか、痴漢にあったりする怖さとは全然異質の怖さなんですよね」

■運命悲劇

渋谷「でもあれですね、理不尽に暴力ふるわれるって、それこそ強制収容所の」
岩淵「そう。作業なんてのやってねえ、秋川渓谷ってところで。木の植林の勤労奉仕とかやらされたんだけど、その作業員が殴るんだ。僕強制収容所って聞くと秋川渓谷を連想しちゃうっていうぐらいおっかなかった。ホラーってのはそういう外的暴力から直接来てる、僕には。それでいわゆるおばけとかなんかは意外と気にしないっていう風になっちゃったのかもしれないねえ」
渋谷「芝居だと演出で恐怖を前面に押し出すってあまり無い気がしますね」
岩淵「運命悲劇ってのが割と怖いんじゃないかなぁ。でも芝居では映画のホラーみたいな物は出来ないね」
渋谷「運命悲劇って割とホラーっぽい。何か禍々しい呪われた剣だか小刀だかで12時に一回人を殺してしまったら、巡り巡って12時にまた同じ事を繰り返してしまった。まさにソドム的」
岩淵「カミュの『誤解』って不条理劇だって言ってるけど、明瞭に運命悲劇のパクリですね。『誤解』のネタ本っていうのはドイツの運命悲劇でロマン派のヴェルナーが書いたものなんです。子供の時家出した息子が山奥の実家に帰ってくるんだけど、両親喜ばせようと思って言わないでいると、両親は明日借金返さないといけないってんで、金を持ってる奴が来たってんで殺しちゃう訳ですよ。息子だと知らないで。『誤解』もほぼそうでしょ。妹が両親と組んで兄貴殺しちゃうんじゃないかな?あれはもう絶対運命悲劇のパクリだと思ってるんだけど。元の運命悲劇の場合は何故息子が家を飛び出したかっていうと、子供の時に誤って短刀で妹かなんかを刺し殺しちゃうんだ。で、その時の短刀は家に置いてあるんだね。子供の時に妹を殺して行方をくらましていたけど成功したから家へ帰ってくる。で両親に今までのことを明かすのを明日までとっておこうって寝ちゃうと、殺されちゃって、その後で兄だって分かるっていうね。で、殺した短刀は妹殺したのと同じだったっていう・・・そういう因縁話」
新谷「良い話ですねえ(笑)そういう話を子供の頃から民話とかおとぎ話で叩き込まれて育って、で、あんまりその影響が強すぎるから今のリアルな、普通の現実的な小説とかに入れなくなっっちゃって、そういう話聞くと非常にこう心がつまるんですけど(笑)」


高橋「今の運命悲劇ってのはやっぱり人間のキャラクターを超えた何かってのが・・・それだったら性格悲劇と違うってことですか?」
岩淵「そうですねえ。日付とか短刀に象徴されている何か、因縁とかそういうことじゃないですかね。強いキャラを持っていても何の役にも立たない」
新谷「何か人間も短刀も同列のような気がしてくるんですけど」
岩淵「そうですねぇ」
高橋「だから運命って大きく言っちゃえばキャラクターも含み込まれると思うけど」
新谷「こないだも話しましたよね、人間は現象じゃないかって話で。キャラクターとして、人間として描こうとしたらどんどん難しくなっていって・・・。何か高橋さんや僕なんかが好きだった手塚治虫の漫画もそうですけど、戦前の映画なんか見てたら、さっきのポエティックの話ともつながるかもしれませんけど、人間を現象として見てるんじゃないか、そういう視点があるんじゃないだろうか」
岩淵「あと僕は、人工授精なんかが出てきてからはオイディプス的インセストってのがありうるなあって思ったんだけど。ほら、慶應の医学部なんかで純良な精子を提供してたでしょ?だけど名前は絶対秘密だから。それで出来た子供は父親(精子の提供者)と知らないでインセストに陥っちゃうって筋だと現代版オイディプスだなって思ってたけど、枠組みを作るのが面倒くさいから書いてなかった。でも今だとDNA鑑定が出てきたから本当のインセストすぐ分かるよねえ?」
新谷「また運命悲劇が書ける時代になったんですかね?」
高橋「ドイツだと僕はクライストってすごい好きなんですけど、『ミヒャエル・コールハース』を初めて読んだ時びっくりして、あれこそ人間がやってる事なんですけど、狂った機械が動いてるみたいだって。ああいうのってやっぱりドイツて感じなんですかねえ?」
岩淵「でもドイツ文学っていうと、割とそんな人があだ花のようにパッと咲く印象がある。大体自死にとか狂い死にしていて(笑)だからゲーテは循環症とか言う人いるけど、世間と上手くやってける人っていう意味。トーマス・マンもそうだよね?それに対して、異形の人が出てくる。だから僕は健全さと異形ってのは何か両方共存してるのがドイツっぽいなてことで。まあもちろんゲーテはクライストを病的だって言ってるし、クライストはゲーテを嫌悪してたし。渋ちゃんはクライストの「ペンテジレーア」好きだって言ってたけど、僕も彼女が念力で自殺するとこはすごく好きだなあ」

■プロレタリア芸術運動

高橋「ブレヒトとかラングとかっていう固有の名前が出てくる前に、ドイツにあったんですかね。そういう想像力の根源みたいなのって」
岩淵「どうですかねえ・・・。ただ、ラングは意外と霊的なものっていう所にはまりこむ人だけども。サイレント映画の頃もそういうの多かったけど・・・」
渋谷「ブレヒトには割と世間と協調する事、ある種問題を考えるみたいな形の作品ありますよね。『ガリレオ』もそうですけど」
岩淵「そうですね、ただ「協調してるけどそれだけじゃないんだぞ」って所見せながら、53年の暴動のときなんか結果的には利用されちゃうしね。宣伝に使われちゃって」
竹峰「映画だとやっぱり合ある種の妥協と言うか、金の問題とかチームワークみたいになってきて、フリッツ・ラングとかも色々言われつつもハリウッドの体制で映画をずっと作ってきて、ある種の協調的な所もあって・・・作家とかだと割と破滅型ってあると思うんですけど、映画ってのはそうしたものってのはあんまり今では生まれにくいのかな」
新谷「映画関係者は酒飲みにいくのね。だから酒で破滅する映画関係者は多いですよね(笑)」
渋谷「まあよく言われるのは、『最後の人』のムルナウとラングってどっちもアメリカに渡って、まあムルナウは事故で早くに死んじゃいましたけど、適応出来た人と出来なかった人みたいな」
岩淵「ムルナウは適応できなかったと思うんけど」
渋谷「で、あれ誰かが言ってたんだけど、ムルナウは理念の人でラングは技術の人だった、っていうような言い方をしてて、やっぱり理念の人は敗北していくっていう」
岩淵「その敗北で自殺した典型はトラー(『どっこい生きている』の作者)じゃない?」
竹峰「難しいですね、その理念って。どこを指して言っているのか」
新谷「アメリカに渡ってからの理念なのか。環境が変わる訳じゃないですか」
渋谷「でもなんかブレヒトなんかひょっとしたらワイマール時代になんか不気味な理念に取り込まれたんじゃないでしょうか。だから一応ファシズムを敵としては書いてはいる訳ですけど、なんかはまる怖さも随所にあって。それこそ作品を技術によってはまらないようにしていったみたいな」
岩淵「ブレヒトの仲間だったブロンネンはファシズムにはまっちゃった訳だけどね」
高橋「ブレヒトって、社会主義リアリズムを巡って、ルカーチと論争してますよね?」
岩淵「ええ」
高橋「あの論争の内実ってのはどうなんですか?」
岩淵「いやあ、だけどあんまり正面切っては論争してないんじゃないかと思うけどね。亡命期間ではね。だけど日誌にルカーチがブレヒトの悪口は書いてますよね。例えばあの、ブレヒトが『第三帝国の恐怖と悲惨』を書いた時に、ルカーチが「リアリズムに戻った」と評価したら、ブレヒトは「教会から戻ってきた罪人許すみたいな事言うな」って言ってますけどね。でもブレヒトは割とリアリズムの手法を書ける人だからね」


畠山「ブレヒトもロシアにちょっといました?」
岩淵「『クーレ・ヴァンペ』は持っていったことがあるねえ。あれは30年代だよね。まだナチスが出る直前」
渋谷「先生、エイゼンシュテインはどうだったですか?」」
岩淵「う?んエイゼンシュテインは・・・『アレクサンドル・ネフスキー』なんかはかなりプロバガンダ的だったなぁ。あと、何か『戦艦ポチョムキン』を音楽つきでやったの見たなあ、当時の(エドムンド・マイゼルの)音楽で」
新谷「先生、『十月』はご覧になりました?」
岩淵「いや、『十月』は見てないんだよ」
新谷「あれは非常に面白かったですよ、単純に見せ物として。アトラクションというか、サーカスみたいな物ですよ」
岩淵「演劇の国家プロジェクトで一番すごかったのは『冬宮奪回』ってのだな。大ペイジェントでやった訳でしょ?本当のオーロラ号って戦艦を川に浮かべて」
畠山「出演者三千人、観客七千人(笑)本当にやったのと変わらないっていう」
高橋「その辺の話最近しててね、プロレタリア芸術運動の話」
岩淵「プロレトクリトってやつだな」
高橋「そうです。で、それが頓挫して社会主義リアリズムみたいになってちゃうってところにとても興味がある」
新谷「最近の高橋さんのマイブーム」
岩淵「それは結局、大衆の意識がついてかないってことじゃないのかしら。大衆のは紙芝居的に順を追ってこうですよって見せてる方が喜ぶから、結局それはブルジョワ演劇とおんなじなんだ。今のように猫も杓子もチューホフだと、ついついこっちは歪めたくなってくるけど。ブレヒトがチューホフ読んでないのはほぼ確かだなあ」
畠山「スタニスラフスキーのことは批判してますよね。『俳優術』とか」
岩淵「まあ悪く言ってるんだけども、党路線に妥協的になってスタニスラフスキー研究っていういい加減なもん書いてますよ。私の演劇論とスタニスラフスキーのとは違わないって、いい加減な事言ってる」
新谷「映画ってそもそもスタニスラフスキー・システムで育ったきたような人とか歌舞伎の世界から来た人とか素人とかごちゃまぜで演じられる訳じゃないですか。ああいうのって、僕らは演劇は門外漢だから芸はそんな意識せずに見ちゃうんですけど、岩淵先生から見るとやっぱり違和感とかありますか?」
岩淵「いや、違和感なんかありませんよ。役者ってのは何システムっての学校で教わったって、自分の本性から離れられないところがあるから。だからごちゃまぜでやっても、ごちゃまぜなんだったらこっちから押し付けりゃいい。それだけだし。それは高橋さんもそうだと思うんだけど。言わせてみて気に食わなければ直せばいいんだから。僕は高橋さんに一言だけ台詞つけてもらったんだけど、意外とそういう時はちゃんとおとなしく計画通りにやるでしょ?。その通りやるんですよね。だけど、この人はテクストってのをそういう風に見てるってのがわかるから、ここをこういう風にって強制されるのは好きなんですよ。自分がそうだから。ほんわずかなことだけれども、ここんとこ強く、とかさ。で、僕はそれを言われたら言われた通りやります。台詞に対する生理っていうかな。それがあるっていうことがとても僕は懐かしかったっていうか」
渋谷「岩淵先生プロフェッショナルなんですよ。素人役者は出来なくて困ったですから(笑)」
新谷「いや本当に十年前に、『酒乱刑事』とか上映してたあの上映会で初めてお会いして、それから実は十年間岩淵先生に出て頂こうって仲間内でずっ?と言ってた(笑)やっとこさ今回ということで。我々としては十年越しの念願が叶ったというか」
岩淵「いやあ、渋ちゃんに今度撮るときは援交の役だぞとか言ってたけど。もう援交できなくなっちゃったね(笑)」
高橋「十年前から岩淵先生に出て貰おうって話していて、何の役がいいかなって、やっぱり閻魔大王だろうと」
岩淵「ははははは」
竹峰「ええッ、あれは閻魔大王だったんですか?」
新谷「そうですよ、影の主役ですよ! 現世をジーッと監視してるんですから(笑)」

(インタビュー構成:畠山宗明・嶺隼樹)


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