世界ソドム会議(高橋) _ 世界ソドム会議 | 映画:高橋洋の『ソドムの市』公式HP

■ 世界ソドム会議(高橋)

 ああ、何というくだらない名称だ‥‥。思い浮かぶのは『コンドールマン』のあの怪人たちが開いているどうしようもない会議の光景だ。窓外にはニューヨークのビル群が見えて。彼らはたぶん背後のビルに旅客機が突っ込んでも、自然現象ぐらいにしか思わず、自分たちの悪事に夢中なのであろう。あまりにもくだらないとそうなるのだ‥‥。

 一神教、多神教というのは、僕や新谷さんがモノを作る際の世界のつかまえ方の違いを表すためのモデル、まさに比喩なのであって、それ自体が本質ということではないです。世界を一元的に捉えるのであれ、多元的に捉えるのであれ、モノを作る人は、そういう捉え方自体を一つの「完結」、「秩序」と見なして、それに対する異議申し立てとしてもう一元なり複数元を導入しようと企てる、少なくとも僕のモティベーションはそこから発するのであって、だから一神教が秩序、多神教が無秩序、ということでもないわけです。無秩序だと言ったトタン、それは秩序に収まり、完結したものになってしまうのであり、異議申し立てはそこから始まる。
 僕なりの世界観・宇宙観は、別にそのモデルからすべてを演繹しているわけではないですが、根っこの感覚に遡ってみると、ダーウィン的な、世界を拷問の装置と見なすような感覚に近いと思います。何のための拷問なのか判らないけど、とにかく拷問としか思えない、そこに認識の限界があって、だから狂った目的としか認識しようがないものに向けて作られた装置、ということですね。それに対して新谷さんは、いや、そもそも目的なぞないのだと。まったくもって無責任きわまりない事物の運動があり、たまさかの均衡が生まれたり、崩れさったりしてるだけなのだと、そういうことなんじゃないか。で、僕は新谷さんの捉え方の方がリアリストのそれであり、そもそも無理がない、今日のエコロジーにも通じる自然観なんじゃないかと思います。
 空はほんとに怖いです。壁のように見えるし、あんまり長く見つめるもんじゃないなと子供の時からずっと感じてます。僕のもっとも古い記憶の一つが、母にだっこされて、生まれて初めて花火を見た時のことで、僕は夜空が爆発してると思って「とうとう終わりが来た」と。周囲を見回したら、みんなニコニコ笑ってるんで、いよいよもってこれは最期だと、最期の時はみんな、こんな顔をするんだと、それで泣きやまなくなったそうなんですが、そう思ったことはよく憶えているのです。特に「とうとう」という感触が実に生々しく残っていて、つまり予期していたということですね。これが拷問の感触なんだろうと思います。
 だから『黄金バット』のナゾーの姿は、新谷さんの話を読めば読むほど、何か「絶対的なるもの」に立ち向かおうとしているヤツに見えるのです。「絶対」というのを神と呼んでいいのか判らないですけど、とにかくこれ以上ないムチャクチャということですね。そうだ、僕はいわゆる「愛(アガペー)」もムチャクチャのことを指してると思うのですよ。だからシルバーバトン1本で巨大な鉄の塊がピタリと止まる。それを見たら、普通、もうかなわないと判りそうなものなんだけど、ナゾーは全然懲りない、「おのれ、バットめ」ぐらいで済んでいて、部下を罵倒すれば何とかなると思ってるらしい。で、最初から判りきってる「絶対かなわない」という展開が延々と繰り返される。だからエネルギーが多様な運動をしているというよりは、絶対的なエネルギーの方向が初めから決まっていて、「強い、絶対に強い!」と。つまりナゾーはこの絶対的なる世界の構造に対して、それが絶対的であるが故に抗い続けていると、僕はどうもそこに共感してるみたいですね。
 もちろん黄金バットそのものも、ちょっと類を見ないキャラクターであって、あの不思議さには魅了されるしかないですが、こちらは言葉を失う、語り得ない何か、という感じが強い。それを神と呼んでしまったらつまらない何か。新谷さんも言っていた長山靖生が、『偽史冒険世界』で、『黄金バット』の世界は初めは『怪盗バット』というアンチ・ヒーリー物で始まり、対抗するキャラとして黄金バットが登場した。戦いに敗れた怪盗バットはミミズク型の覆面を被り、ナゾーとなったと書いてましたね。そういう様々なモノを通り抜けて、ある種人智を超えたなかでこそ、あの世界は生まれ得たとも言える。そういう意味においてエネルギーの多様体なのだということなら判るのですが。

 で、この世界ソドム会議、スレッド式に出来るのですね? 一つのメールがいくつもの話題を含みながら長々と続くのは、どうもやりづらい、そもそも「往復」という形式に問題があったんじゃないかという気がするので、試しに短めに短冊型にしてみます。
 個人的には宗教ネタだと燃える氏原君に、フロイトの『モーゼと一神教』あたりの引用でもウンチクでも希望。あまり評判のよくない論文みたいですが、一神教発現の背景には、実は隠された犯罪(モーゼ殺し)があったというネタで、まあ僕好みの話です。