我ら、バンパイヤ! (新谷) _ 往復書簡 | 映画:高橋洋の『ソドムの市』公式HP

■ 我ら、バンパイヤ! (新谷)

やれやれ、バイトも最近メチャメチャ忙しいし、「ソドム新聞」は創刊するわ、四コママンガ「ソドム君」も書き始めるわで、ますます時間がなくなって...。どうして、こんなに自分で仕事を増やしてしまうんでしょうね、お互い。
しかし、これでは「森崎東レトロスペクティブ」も観に行けそうもないし、アテネでやってるフレデリック・ワイズマンも観れそうにない...ああ。

 さて、往復書簡、再始動しましょうか。でもどこから始めれば良いのか。
じゃあ、まず先の裏主題歌から行きましょう。
 これまた、十年前、高橋さんが『XX(ダブルエックス)美しき獣』を書いてた時、長電話してて、また手塚治話になって『バンパイヤ』は革命の物語だ、と高橋さんが言ったんですね。僕は手塚ファンだけど、『バンパイヤ』友人から借りて一度読んだだけだったんです。だから、どうしても印象が薄くて、「革命」って言葉がピンと来なかった。
で、高橋さんが書いてた『美しき獣』は、北朝鮮に拉致された女が、スナイパーになって日本に帰って来る。そこで、敵の男と恋に落ちて...てな話だったはずで(完成品がどうなったか、忘れた)、そんな話をしてた頃、ちょうど買った懐マンCDに『バンパイヤ』の歌が入ってて、聞いた僕はビックリして「たたたた、高橋さん! これこそ『美しき獣』のテーマですよ!!」と超特急電話をかけたんですね。
 別にストーリーが似てたわけじゃないです。しかし、殺人マシーンとされた女が、自分の誇りを取り戻す、単に人としての誇りという意味でなく、殺人マシーンとしての自分を肯定した上で、その自分を許し、積極的に異形の者としての誇りを持つ。そんな事が高橋さんと話してた『美しき獣』のテーマだったんです。
 なんだかバーホーベンの『ロボコップ』を思い出しますが。『ロボコップ』のラストで、主人公は自分を取り戻し、本名を名乗る。良い場面です。でも、僕は物足りなかった。もう元の自分には戻れないんだから、「ロボコップ!」と誇りを持って名乗って欲しい、そう思ったんです。で、それは『ロボコップ3』で実現され、僕は大いに溜飲を下げたんですが...。
 『バンパイヤ』は、まさに異形の者たちが、自らの不幸を呪い、苦しみ、仲間を見つけ、そして自分たちバンパイヤ(人間としてというより、異形の者)の誇りをかけて立ち上がろうとする...という物語で、CDに入ってたテレビ主題歌は、その根本テーマを根こそぎつかみ出した、名曲だったんです。
僕は、ワンコーラス目しか知らなかったんですが、2、3番と聞いているうちに、体の震えが止まらなくなって、高橋さんの寝ている昼間に電話をかけて、まくしたてたんですね。「これがテーマだ!」と。
 さっき、革命という言葉が出ましたが、別に我々は現政権を打倒しようとしてるわけじゃありません。独立原野党じゃないんだから。
ただ、自らが異形の者だ、という自覚と誇りを持って、自分のペースで生きていきたいだけなんです。それが、僕の考える「革命」です、しかし、それこそもっとも困難な事かもしれないですね。なぜなら、それはいわゆる「自己意識の変革」とか「理想社会実現のためのステップ」ではないから。あくまで、自分が人外であるという事を、自分自身で自覚する事から始まるわけで、自分一人が「一人一国」でなく「一人一種」となる恐怖と対面する事ですから。そして、そもそも人間はみんな、一人一種なんじゃないか、それをみんなが自覚する事が「革命」じゃないか、と。全人類がその自覚を持った時こそ世の中は変わる(どう変わるか知りませんが)と、僕はボンヤリと考えているんです。それは、誰一人言葉の通じない混沌の社会かもしれません。しかし、そのなかから、真のコミニュケーションが生まれるんじゃないか...と。
すっかり話がそれちゃいました。
 で、『バンパイヤ』の1番は「そうだ僕はバンパイヤ」と個人を語り「悲しき定め」と落とす。 2番は「そうだ我らバンパイヤ」と集団に広げながらも「呪われし民」とさらに落とす。 しかして、3番は「行こう我らバンパイヤ」と逆襲に転じ「雄々しき命」と誇りを持って謳い上げる。これはシビレましたねえ?。こんな、時代遅れなフレーズを使いたくなるほど、感動しちゃいました。原作でも、バンパイヤ革命の話は振ってあるんですが、残念ながら未完に終わってます。

 で、次は『新・八犬伝』ですが、先の『バンパイヤ』に感動すれば、もうすんなり理解してもらえるでしょう。異形の者たちが、同士を求め、発見していく予感を謳った、これまた名曲中の名曲です。僕たちの世代は、毎週金曜日『新・八犬伝』の週の最後の放送で流れる、フルコーラスのこの曲を涙ぐみながら聞いたもんです。いやホント、今回[幕間]でテープから詩を起こしながら、何度涙が出た事か...30年経っても変わってませんねえ...。
特に「夕焼けの空は 君たちの血の色」というところには、鳥肌が立ちます。
 思うんですが、こういう血の誓いは、やはり戦時下とか、もの凄い迫害に合った者たちにしか生まれ得ないのかもしれません。それは結局、外部との戦い、という構図に発展する運命にあるわけで、となると、被害者だった者達が、加害者になる事は必然でしょう。ある意味、血の結束とか、疑似家族を得るという事は、加害者として生きていく決心をする事に他ならないのかもしれません。これを語り始めると『必殺からくり人』に至ってしまいますが...。いや、「革命」への道は遠い...。

 『ソドムの市』という作品は、10年前のダジャレから始まった作品ですが、根本テーマは、やはり10年前、『バンパイヤ』の曲からスタートしてたんですね。おお、なんか今回は内容があるぞ、格調高くなったぞ。
で、書いてて気づいたんですが、万田さんの『続夫婦刑事2』、先日宣伝の島田さんや、柳下さん(二人とも大阪出身)と話してて、どうも評判が悪かった。浦井くんの話でも、大阪の知人からは総スカン食ったそうで、僕には『続夫婦』もの凄く面白かっただけに、ショックでしたね。しかし、島田さんの言う、リアクションの取れなさ加減、ボケとツッコミの連動のなさというのは、大阪の笑いがある意味コミニュケーションの基盤として機能しているのに対して、万田さんの笑いは、それを無化する方向に働いているという事でしょう。
高橋さんは「笑い」と「ギャグ」を違う意味に使ってるみたいですが、恐らく高橋さんが使ってる「ギャグ」という言葉は「意味の破壊」という事を含んでるんでしょう。そして、それは「笑い」という(ある意味健全な)反応を引き起こすモノとは限らない。むしろ、突き詰めれば突き詰めるほど、笑いからは遠ざかり、理解されなくなる可能性が高いのだと思うのです。そして、それは「革命」に関して先ほど書いた「一人一種」「コミュニケーションの破壊」を突きつける行為なのかもしれません。
 万田さんのギャグと、高橋さんのギャグ、西山さんや僕も、実は浦井くんも、意味を共有できる「笑い」という反応を壊して、その奥にある得体の知れない物に接近しようとしてるのでしょう(ブニュエルなんかもそうじゃないでしょうか)。それが良い事か、悪い事かは、分かりませんが。
でも、なんだか高橋さんのギャグ(?)は笑いが取れるみたいで、不思議ですね。ホントは高橋さん、「笑い」のつもりで作ってなかったりするのに。でも「これって、笑って良いんですか」と聞かれるという事は、笑いながらも観客の皆さんは不穏な物を感じてるのかもしれません。
 ああ、長くなってしまった。僕にとって、今日書いた事は『黄金バット』に通じるテーマですし、高橋さんには森崎東に通じるテーマでしょう。さて、ここらで黄金バトン?タッチ!! 

 そういえばあの時、夢野久作の『氷の果て』の話もしたんですね。おお、記憶が甦って来る! 良かった、若年性痴呆じゃなかった!!